5社目★就労支援事業所での工賃に唖然~就労期間2か月~

5社目・就労支援事業所での工賃月○○円に唖然~就労期間2か月~

引っ越し屋を3日で辞めた結果、ハローワークに出戻ってしまう。僕自身が離職を早すぎると感じているだけに、斡旋してくれた職員さんに話すのも気が重い

 

その日はいつも担当してくれる職員さんがいなかったので「助かった」と思ったが、結局は別に応対してくれた職員さんから「もう少し社会人として我慢して頑張って下さい」と言われ落ち込んだ。

 

仕事が上手く行かない状況は、僕に原因があるとわかっているものの、それを含めてどうにもできない現状がある。いつになれば安定した場所で、安心した仕事ができるのか。しばらくは、現実と向き合うのが怖くなり1人で悔し泣きする夜もあった。

 

「正社員になって安定する」という目標だけを掲げ、ハロワで仕事を探す日々。しかしこの頃を境に、バイトさえも落とされるようになって行く。

 

ハロワで言われたとおりに履歴書を書いているが、どうも短期間で辞める内容がマイナス評価に繋がっているのではと考えるようになる。

 

バイトなど”いつ辞めたか分かるはずが無い”と思い、少し嘘の修正をして「これでもバレないと思うのですが・・」とハロワの職員さんに見せるが「嘘はマズイ」と言われるだけ。結局このまま6社ほど落ちる。

 

段々とハロワに行く日になると朝起きても無気力になっていた。そして腹痛にも悩まされる毎日で動く事ができなくなってしまう。

 

「うつ病」と「発達障害」のダブル診断

 

調子が悪いのでしばらく休んでいたが、そのまま家に居る事が多くなりニートに戻っていた。病院に行くように、見かねた親が言うので連れて行かれると「うつ病」と診断される。

 

仕事での悩みや困っている事を医師に話したが、この病院で「発達障害」と診断されている。何度も通いながら話を重ねるうちに説明を受けるが、「それが苦しかったんです!」という事を初めて人に理解してもらえた

 

診断名はADHD(注意欠如多動性障害)、LD(学習障害)という併発型との説明をされる。僕のような発達障害を抱える人には合併症は珍しく無いらしい。

 

病院で診断されてからは、ネットでも発達障害を検索していたが、そのまま僕と似た事例で悩んでいる人の話がたくさん上がっていた。

 

「これだったのか・・」と思うと同時に、簡単にどうにかなるものでもないという絶望感みたいなものを感じた。僕は真っ先に、「このままでは正社員として働けないのではないか」という心配もこみ上げていた。

 

そこから1年半ほど、うつの状態が良くなるように求職活動はストップした。

 

発達障害者として障害者手帳をもらってからは、「理解してもらえる職場を探しましょう」という医師のアドバイスを聞くようになった。

 

この医師からの勧めもあって、この病院と関わりのある「就労支援事業所」でのバイトから社会復帰を目指す事も決まる。1年半も休んでいたので、リハビリ感覚で頑張る事を意識する僕がいる。

 

「障害者」として楽な仕事をしても、給料が安いと不安になる

 

就労支援事業所というのは、いわゆる障害を持った人たちがメインで働いている事業所だ。今だと就労支援A型とかB型などがあるが、当時は僕も医師に勧められ手続きをしてもらったのでどういう団体で働いていたのかすら不明。

 

覚えているのは月に20日くらい勤務して、月給が1万1800円くらいだった事だ。最初に説明を受けた時に「通える日に無理せずに来て、しんどければ休んで良い」と言われていたので自由だとは思っていた。

 

「あまり給料も期待できない場所なのだろう」という認識しかなかった。リハビリと仕事を一緒にしているので、当然と言えば当然だがそれでもこの金額には驚いた。

 

この給料では生きて行く事はおろか、普通に貧困状態に陥って死んでしまうではないかと逆に精神面を圧迫された。通っている人たちのほとんどは、車イスや知的障害者の方で障害年金などと合算して生活しているらしい。

 

僕のような人は、割合として1割にも満たない。もし在籍していたとしても社会復帰へのリハビリとして通っているくらい。仕事も単調な作業が多く、箱を折り曲げたり、タオルをたたんだり。他にクッキーを作っている社員さんらしき女性の姿もあった。

 

ここは作業速度のデキは関係なく、その場で何かしていれば特に何も言われない環境だった。これまでのように、注意力が無い事で怒られたり、作業速度が遅すぎると言われる事もないので一見すると楽な環境だが給料があまりにも無さ過ぎた。

 

これは、後で分かったのだけど「給料」というよりも「工賃」と呼ばれる賃金の発生システムらしい。僕はこの時には、うつ状態もあり服薬を続けていたのだけど、「生活していけるだけの収入は稼がなきゃ」という不安でいっぱいだった。

 

月1万ちょっとのお金の為に通う事がリハビリになればよかったが、「違った意味での不安や心配」になっていったので、わずか2か月で自主的に退所する事を決める。

 

「転職して早く給料を稼ぎたい」と支援員スタッフに伝えると、「確かにここは障害と言っても、グレーゾーンの人に合う職場とは言いにくいかもしれません」と理解を示してくれた。

 

そのまま2カ月と短期間でのリタイアになるが、収入アップを目指したものなので前向きな僕の姿があった。精神的にしんどい状態でもあったが、薬を飲みながら少しずつ社会復帰を目指していく事になる。

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